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2015年3月11日水曜日

障がいと差別とつなぎの場。


 学生時代からの関わりも含めると、この仕事をはじめてもう20年になる。当初関わりをもった当時十代の子たちも、すっかり髭面のオッサンに変わった。もちろん私もかなり老けたが……。

 身体的な障がいのある子、知的に障がいのある子、心に傷を負った子、いろいろな付き合いがあったけれど、一番気になるのは自閉症スペクトラムと呼ばれる、なんとか社会生活を営めてはいるものの、大変な苦労をしながら生活し続けざるを得ない人たち。一見して障がいがあるのかどうか分からないということもあるが、本人も自らの障がいに気づいていないというケースも多い。

 昨年、発達障がいに対する診断基準等が変わり、これまでの多軸診断が廃止され、特に自閉症の概念定義が変わった。

 自閉症スペクトラムと呼ばれる、なんとか社会生活を営めているものの、その症状のために大変な苦労をしながら生活し続けざるを得なかった方たち、人生のどこかで生きづらさを感じて初めて自分の障がいに気づいたという方たちをこの診断により認知し、差別意識や偏見・不快感を生まないよう病名を広く周知することへと繋がっていくものと思う。ただ、肝心なのはその理解をどう弘めていくか、弘まったとして、その理解によって具体的に生活のなにが改善されていくのか、ということである。生きづらさから抜け出すことはできるのだろうか。

 難しい問題だと思う。誤解を恐れずにいうならば、どんなに理解を得ようとも、この世の中で生きている以上、人のなかにある差別や偏見の意識そのものはなくならない。私のなかにだって偏見はある。あるからこそ自己批判と点検を繰り返し、自分なりの推進力を維持しながら、この仕事を続けてくることができたのだ。

 差別や偏見、悪意のない社会など、どこにもない。だから自分や社会とうまく渡をつけ、人から白い目で見られないように細心の注意を払って生きているのだ。発露する場所を間違えたり、ついボロが出たりすると、たちまち血祭りにあげられる。多くの人が、この時とばかりによってたかって糾弾する。耳を覆いたくなるほど悪意に満ちた呪いの言葉を投げつける。顔も名前も見えない遠いところから、自分は差別や偏見からずっと遠いところにいるかのように。

 少し話が逸れてしまったけれど、つまり、障がいに気づき、障がいに対する理解を得ただけでは本当の意味で彼らの生きづらさを変えることなどできないのではないかと思うのだ。ではどうすればよいのか。正直なところ、分からない。分からないのだけれど、私なりの理解と行動について言えば、理解の的を小さく絞ること。つまり、自分のすぐ「身近な個人」を理解するように心がけている。障がいに対する理解というよりも、その人が何に生きづらさを感じているのか。どう関われば付き合っていけるのか。どう関われば仕事ができるのか。どう関われば生活できるのか。今だけではなく、先を見据えた関わりも想像する。関わりの前に想像し、実際の関わりの中から何かを見つけたいと思って行動している。そして、共依存しないような適切な距離を考え、決して無理をしないよう、こまめに話をする。

 ソフト面とハード面、その両方でサポートしていくことを考えたい。今よりも、もう一歩踏み込んだところで、彼らの居場所づくりというものを早急に構築していかなくてはならないと強く感じている。それは単に障がい者だけを一定のところに集めて支える、障がい者雇用の場をつくるだけという従来のスタイルではなく、「身近な個人」を一人でも増やすことのできるような場所づくり。教育にも、行政にも、道徳にも頼らない、平等思想も権力構造も関係ない、出会ってたまたま気づける個人のつながりの場所が必要だと思っている。それがなにかを知るということであり、理解しようと努めるための第一歩になるのではないだろうか。

 本当の意味での「小さなつなぎの場」として、障害のある人もない人も老若男女が街のなかで生きていくことのできる、そんな場所づくりというものをスクラムとして実践していきたい。決してキレイゴトでは終わらせたくない。(砂金 )

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