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【出張買取のご案内】 http://koshoshi-scrum-npo.blogspot.jp/2015/08/blog-post_10.html 古書肆スクラムでは、古本を通して障がい者の就労支援を行っています。具体的にいうと、障害者自立支援法に基づいた「就労継続支援B...

2015年3月30日月曜日

クラウドファンディング始まりました!

 現在、REDYFORで「障がい者の就労・自立支援、つなぎの場として古本屋を開きたい!」と題したクラウドファンディングを開始しました。

 「REDYFOR(クラウドファンディング)」とは、インターネットを介して不特定多数の個人から資金(支援金)を集めるサービスのことです。一気にものすごい額をお願いするというのではなく、できるだけ多くの方に共感していただき、小額な支援を少しずつ募ることで、大きな力に変えていくという仕組みです。

 支援金の募集期間内に、立てた目標金額を達成できなければ、せっかく支援金が集まっていても0円になってしまうという、オール・オア・ナッシングな仕組みです。(プロジェクト失敗の場合は、資金提供してくださった方のもとにお金は戻ります)

 今回、私たちは「障がい者の就労・自立支援、社会の中で生きにくさを抱える方たちをサポートする場所づくり」というプロジェクトを行い、30日間(4月28日が最終日)で60万円以上集めなければ、プロジェクトが不成立として終わってしまいます。

 ぜひ、皆様にご支援・拡散していただけたら大変幸いです。

 どうかよろしくお願い致します!力を貸してください!


2015年3月22日日曜日

性別のこと。

すっかり春の陽気につつまれ、
日中のお出かけも歩くだけで嬉しくなりますね。
(花粉症の人にとってはますます辛い季節ですが・・・汗)



さて、今回は自分が気になったテーマをひとつ。


近年メディアや雑誌でよく目にする


「セクシャルマイノリティー」

「LGBT」


L=レズビアン Lesbian・女性の同性愛者。
G=ゲイ Gay・男性の同性愛者。
B=バイセクシュアル Bisexual・両性愛者。
T=トランスジェンダー Transgender・性別移行(性同一性障害)。
頭文字から作られた頭字語。



数年前に比べてだいぶ公の場に出てきたように感じる。
割合も年々増加傾向にあり、
全人口の3~5%存在するといわれ20~30人に1人の割合で
同性愛者もしくは生まれながらにして
身体と心の性別が一致しないといった先天的に持つ人もいる。

(例えるなら"左利き"と割合が同じといわれる。)



日本でも同性婚を望むカップルも少なからず存在し、
国も体制を変えていく動きもあるようだけれど
欧米やヨーロッパ諸国に比べると
まだまだ今の日本では厳しい状況は拭いきれない。

同性愛者と呼ばれる人たちも
障がい者とはまた違った意味での差別が存在し、
生きづらさや社会からの疎外感も隣りあわせで苦しむ人が沢山いる。

私には経験が出来ないことだから
深く理解することは難しいことかもしれないが
自分をありのままに見せられないというのは苦痛でしかないし
何故自分はこんな風に生まれてきたのか、
異性でなく同性を好きになってしまうのか、、
日々とても悩んで生きているのかと思うと


そもそも性はどうして
男と女に真っ二つに分かれてしまったのかと
行き着く先はそこにしか答えはない。


男だから、男らしく。
女だから、女らしく。


今はもうそんな世の中じゃない。

自分がいかに生きやすい居場所や環境があることが
大切だということ。

私はこの世に女として生を受けた。
でも一人の人間として、そういった生きづらく感じている人たちに対して
何か手を差し伸べられたらといつも思う。


国もこれから性に苦しむ人たちに対する考えを
より深く理解していかなければ
よりよい社会は生まれないと思う。

(梅原)






2015年3月11日水曜日

障がいと差別とつなぎの場。


 学生時代からの関わりも含めると、この仕事をはじめてもう20年になる。当初関わりをもった当時十代の子たちも、すっかり髭面のオッサンに変わった。もちろん私もかなり老けたが……。

 身体的な障がいのある子、知的に障がいのある子、心に傷を負った子、いろいろな付き合いがあったけれど、一番気になるのは自閉症スペクトラムと呼ばれる、なんとか社会生活を営めてはいるものの、大変な苦労をしながら生活し続けざるを得ない人たち。一見して障がいがあるのかどうか分からないということもあるが、本人も自らの障がいに気づいていないというケースも多い。

 昨年、発達障がいに対する診断基準等が変わり、これまでの多軸診断が廃止され、特に自閉症の概念定義が変わった。

 自閉症スペクトラムと呼ばれる、なんとか社会生活を営めているものの、その症状のために大変な苦労をしながら生活し続けざるを得なかった方たち、人生のどこかで生きづらさを感じて初めて自分の障がいに気づいたという方たちをこの診断により認知し、差別意識や偏見・不快感を生まないよう病名を広く周知することへと繋がっていくものと思う。ただ、肝心なのはその理解をどう弘めていくか、弘まったとして、その理解によって具体的に生活のなにが改善されていくのか、ということである。生きづらさから抜け出すことはできるのだろうか。

 難しい問題だと思う。誤解を恐れずにいうならば、どんなに理解を得ようとも、この世の中で生きている以上、人のなかにある差別や偏見の意識そのものはなくならない。私のなかにだって偏見はある。あるからこそ自己批判と点検を繰り返し、自分なりの推進力を維持しながら、この仕事を続けてくることができたのだ。

 差別や偏見、悪意のない社会など、どこにもない。だから自分や社会とうまく渡をつけ、人から白い目で見られないように細心の注意を払って生きているのだ。発露する場所を間違えたり、ついボロが出たりすると、たちまち血祭りにあげられる。多くの人が、この時とばかりによってたかって糾弾する。耳を覆いたくなるほど悪意に満ちた呪いの言葉を投げつける。顔も名前も見えない遠いところから、自分は差別や偏見からずっと遠いところにいるかのように。

 少し話が逸れてしまったけれど、つまり、障がいに気づき、障がいに対する理解を得ただけでは本当の意味で彼らの生きづらさを変えることなどできないのではないかと思うのだ。ではどうすればよいのか。正直なところ、分からない。分からないのだけれど、私なりの理解と行動について言えば、理解の的を小さく絞ること。つまり、自分のすぐ「身近な個人」を理解するように心がけている。障がいに対する理解というよりも、その人が何に生きづらさを感じているのか。どう関われば付き合っていけるのか。どう関われば仕事ができるのか。どう関われば生活できるのか。今だけではなく、先を見据えた関わりも想像する。関わりの前に想像し、実際の関わりの中から何かを見つけたいと思って行動している。そして、共依存しないような適切な距離を考え、決して無理をしないよう、こまめに話をする。

 ソフト面とハード面、その両方でサポートしていくことを考えたい。今よりも、もう一歩踏み込んだところで、彼らの居場所づくりというものを早急に構築していかなくてはならないと強く感じている。それは単に障がい者だけを一定のところに集めて支える、障がい者雇用の場をつくるだけという従来のスタイルではなく、「身近な個人」を一人でも増やすことのできるような場所づくり。教育にも、行政にも、道徳にも頼らない、平等思想も権力構造も関係ない、出会ってたまたま気づける個人のつながりの場所が必要だと思っている。それがなにかを知るということであり、理解しようと努めるための第一歩になるのではないだろうか。

 本当の意味での「小さなつなぎの場」として、障害のある人もない人も老若男女が街のなかで生きていくことのできる、そんな場所づくりというものをスクラムとして実践していきたい。決してキレイゴトでは終わらせたくない。(砂金 )

2015年3月1日日曜日

障がいを受け入れるということ。

今日から3月。 弥生。 桃の節句。

一年の節目でもある月ですね。 
土の中に眠る生き物たちもそろそろ目を覚ます頃・・・


スクラムでも日々、いろんな人と接する機会が増えています。

「障がい」と一言で言っても
さまざまな障がいがあり、ひとりひとり抱えている大きさも違えば
その人にどんな支援が必要なのか、、という部分も
その人自身の気持ちになって深く考えていかなければいけない。

先日、とある番組で
重度の脳性まひの両親を持つ大学生の息子さんが取材のインタビューで

「家族に障がいがあると不幸ですか?」という質問に対して


「いいえ。僕の家は小さな頃から毎日ヘルパーさんが来てくれて
自分の両親の介護だけでなく、いつも僕の世話や話し相手になってくれていたから
自分を不幸せだと思ったことはありません。」という彼の言葉に正直、驚いてしまった。

そして、” 障がいがあるから不幸だ。 可哀想だ。 ” という考え方も
間違っていると話していた。

彼の母親は
「子供を産んでよかった。自分は障がいがあるけれど
子供には何の罪もないし、犠牲にはさせたくない。
自分の思うように生きていけばいいんじゃない?」と笑顔で答えていた。

重度の脳性まひである夫婦に子供が出来ることも驚いたが
(確率で言えば障がいを持って産まれる方が高いと思っていたが、
健常者として生まれた彼を見て自分の知識不足に恥ずかしくなった。。)



障がいとは?

家族とは何だろう?



昨今、 親が子供を、、子が親を殺すという事件をよく耳にするが

「障がい=不幸」という考えは間違っているのかもしれない。


私が悩んだり落ち込んでいる時に限って、
(そんな素振りは見せていないのに)
利用者さんが近くに寄ってきて微笑みかけてくれる事が何度かあった。

私は日々、利用者さんと接することで救われている。
元気をもらえる。この仕事の意味を考えさせられる。。


これからも利用者さんと関わっていきたい。
そして社会全体が障がいを持った方たちを
どんどん大きい心で受け入れていってほしいと強く願う。

(梅原)


(とあるイベントにて。楽しく踊る姿に元気をもらえました◎)